HISTORY

HISTORY1

1957年(S32年)0歳 6月 黒沢昌一、徳子夫妻の長女として埼玉県大宮市に生まれる。

父親と時子(祖母)に溺愛されて育つ。「いい子だね。」「可愛い可愛い」と言われてかなりちやほやされて育った幼少期であった。わがままと言えば、わがままに育てられたかも知れない。

1961年(S36年)4歳 大宮幼稚園入園
1964年(S39年)7歳 大宮小学校に入学

小学校から中学卒業まで父はPTAの会長までやり、昌代の学校行事まで絡む。どれだけ昌代を可愛がっていたかが、うなずける。

1969年(S44年)12歳 大宮東中学校に入学

中学生時代、同級生が受験ノイローゼで自殺してしまった。その出来事を知った父昌一は昌代を心配し、「お前はもう勉強しなくていい。」と言う。父の独断により昌代の希望は全く聞かず、大学までエスカレーター式に行くことができる学校に無理矢理行かされることになる。父からの溺愛ぶりがうかがえる。

1972年(S47年)15歳 東京家政付属高校に入学

父に勧められるままに入った学校で、エスカレーター式に自動に高校へ進学。父の意向通り勉強は全くしなくてもいい状況の中、昌代の反抗期がはじまる。自分の意向ではない学校に通う中で、「もうこれから先は父親のいうことは聞かない。」と決断する。

小さな頃から父親やおばあちゃんに溺愛されて育ち、何不自由なく生活していた昌代。16歳の頃、実家が火事で全焼してしまう。20歳まででこの体験が最も昌代にとって、最悪な出来事であり、昌代の幸せの価値観に影響を与えた出来事でもある。それまで暮らしていた家も思い出も全て焼けた光景を前に、「普通の生活って、当たり前じゃない。」と思った。この出来事をきっかけに、旦那さんとテレビを見たり、散歩をしたり、ごくごく当たり前のことに幸せを感じられるようになった、今の幸せにつながる16歳の貴重な経験。 父の昌代に対する溺愛ぶりにより、何かにつけて干渉してくる父親。反抗期の時期を迎えた昌代にとって、父に無理矢理入れられたエスカレーター式の学校での生活に不満を感じ、父親をうっとうしく思い、グレていた。家事の後、今までは父親の言う通りにしてきたが、「ここから先は父の思い通りの人生を送りたくない!」と決意する。その影響で、就職先も結婚も全て親に相談せずに全て自分で決めた。昌代の決めたことに対して、父昌一は特に反対はしなかった。

1975年(S50年)18歳 東京家政短期大学に入学

大学時代の昌代は音楽に熱中し、サークルではステージ101を行う。音楽の才能があり、歌に踊りに、エレキギターもお手の物。昌代自身も日々華やかな青春を過ごし、スカウトされた経験もあるなどノリにのっていた時期。

1977年(S52年)20歳 就職

レナウン(アパレル)人事部。2年間働く。