HISTORY

HISTORY3

結婚した当初は一生専業主婦が続くと思い、働く気も全くなかった昌代。3人の子供を授かり、愛する子供達と幸せな日々が続いていくと思っていた。しかし子煩悩だった父親と、常に旦那さんとを比べてしまい、「このまま一生この人といたくない。」と思いはじめていた。思春期は干渉してくる父親に対してうっとうしく思っていたものの、本当の父親に対する気持ちは嫌いではなかったことがうかがえる。まもなくして離婚を決断し、8年間の専業主婦生活にピリオドを打つ。離婚の時期とほぼ同時期に、最愛の父昌一が57歳の若さで他界。離婚して3人の子供を育てることになった昌代にとって、実家にも頼れず、経済的に非常につらい時期であった。自分で働こうと思い第二の就職先として保険業界に足を踏み入れるも、最初はうまくいかず、困難の連続。4人兄弟の一番上で育ったため、何でも自分で決めて親に相談することがなかった昌代は、母親にも特に何もしなくてもいいと伝え、援助なしで子供を育てる。困難を楽しめる性格か、仕事をはじめてみたらすごく楽しくて、天職に出会ったなと仕事に没頭する毎日。

天職とまで考えた保険の仕事であったが、第一生命の考え方と自分の方向性が合わないと感じ、全てを捨てて0から代理店をはじめる。この時期は、3人の子供が大学や高校に入学し、教育費が非常にかかるようになる。子供のために「もっと稼ぎたい。」という一心で働き、体力的にもギリギリの状態で頑張った。子供たちは思春期で子育てが難しい時期であり、代理店の仕事でもっとハードな営業を行っていた。体力的にも精神的にもハードな状態であったものの、「何としてもこの子達を育てよう。」と奮闘し、2年で社長にも抜擢されるようになる。困難にあえて突き進む性格か、結果的に仕事が楽しくてしょうがないくらい打ち込んでいた。独立してから自宅に事務所を構えたため、それまでずっとできなかった当たり前の家族の光景である、「行ってらっしゃい。」「お帰りなさい。」を子供たちに言えるようになったことは昌代にとって最大の幸せであった。父親の「子供を食べさせるのは親の仕事だ。」という教えと、どんなに忙しくてもご飯を作ってくれていた母親の姿から、昌代自身もどんなに仕事で忙しいとしても子供たちのためにご飯は必ず作っていた。ご飯はどんなことがあっても、出来合いのものではなく、もちろん手作りで。そのため昌代の得意なことは料理で、15分くらいで夕食のおかずが出来上がってしまう。子供達もいまだに昌代の手料理を食べに、実家を訪問するほどの腕前だ。「もうダメだ!」と思ったことは何度もあったけれど、親にも一切頼らず、昌代一人で3人の子供を育てられたのは、やはり大切な子供達3人の存在が大きかった。独立した時期でお金がなくて一番辛かった頃、子供たちが就職していて、逆に助けられて、とても支えになった。

2005年(H17年)46歳 倫理法人会に入り活動を行う。

ここで両親やおばあちゃんのありがたみや、支えてくれたお客様のありがたみを学ぶ。

2008年(H20年)49歳 株式会社保険ドクター 設立

経営者と自分との方向性が合わないと感じ、全てを置いて、独立しようと決めた。このころには子供達も自立していたため仕事に没頭できる環境があり、自分で会社を作って一からやり直した。0からのスタートで大変であったけれど、今までの人脈や周囲のサポートのおかげで会社を経営することができた。

2008年(H20年)49歳 第二回私は仕事が大好き審査委員特別賞・受賞

私は仕事が大好き大賞。&倫理法人会 審査員特別賞をいただきました。カテゴリー「お母さん」

もともと両親には頼らずに何でも自分一人で頑張ろうという性格で、離婚してから自分自身で頑張り、子供のことを最優先に考えて走り続けてきた昌代。子供たちはそれぞれグラフィックデザイナーとネイリスト、エステティシャンとして独立、二人の娘は結婚して家庭に入った。今までの肩の荷が下りた時に、ふと「ここから先私の人生は、ずっと一人でいいのだろうか?」と疑問に思った。その時に心に思い浮かんだのは、小さな頃から溺愛してくれた父や祖母の顔、自分を見守ってくれている母親、「このまま私は一人だと、亡くなった父や祖母、近くにいる母親も心配だろうな。パートナーを探そう!」と自分の幸せを優先するようになった。そう思ったタイミングで近くにいたのが、両親や祖母、自分を支えてくれたお客様や周囲の人たちへの感謝の気持ちなどを教えてくれた倫理法人会で、10年以上前から知り合いだった現在の夫となる工藤直彦氏であった。それまで昌代は子供達が自分の元を巣立ったら、ずっと自分のやりたい仕事をして生きていこうと思っていたのだが、直彦さんと触れ合うことで「この人を幸せにしたいな」という気持ちが生まれた。

2012年(H24年)53歳 「AERA」より“50歳からの起業に勝つ”取材にて記事に取り上げられる

2013年(H25年)54歳 12月、同じ倫理法人会・音楽事務所を経営する工藤直彦さんと結婚

直彦さんと結婚したことで、それまでの結婚に対するイメージが崩れ去り、「家に嫁ぐことが結婚なのだ。」ということに気づかされる。直彦さんとこれから先も幸せな家庭を築き、そんな自分の姿を子供たちに見せていくこと、嫁ぎ先の人間になること、命を紡いでいくということはすごく大事なことだということを子供たちに伝えたい。娘が結婚し、孫ができたことで、当たり前のことだけどすごくありがたみを実感している。直彦さんとの生活でも、一緒にテレビを見たり、犬の散歩をしたり、スーパーに行ったり、当たり前の日常が本当に幸せだなと思えるようになった。

2015年(H27年)56歳 現在BNIディレクターとなり、BNIをもっと知ってもらうために日々活動している

ここまで来れたのもたくさんの皆様のお陰です。今は、BNIのディレクターとして たくさんの経営者のサポートが出来るよう、努力しています。外人さんはBNIの創始者、アイバンマイズナー博士です。 会議のカンファレンスに出席するようになりました。